「現代マネジメント研究」第3回 小栗幸江氏 講義

2021年度 中部学院大学・シティカレッジ各務原・関 公開講座

第3回「歌舞伎王国岐阜県-ふるさとに継承される地歌舞伎-」

岐阜県地歌舞伎保存振興協議会会長
美濃地歌舞伎博物館相生座館長・ミュージアム中仙道館長

小栗 幸江 氏

講演する小栗幸江氏

6月8日(火)第2限、第3回の「現代マネジメント研究」講演会を開催しました。
今年でちょうど二十周年を迎えたこの講座は、短期大学部の経営情報学科に設けられた科目で、開設間もない頃から市民の皆様方のご要望にお応えして一般公開してきたものを、各務原キャンパス開校の平成18年度から、経営学部とシティカレッジ各務原・同関との連携事業としたものです。

現代マネジメント研究第3回小栗幸江氏講義の様子

今回講師をお願いしたのは、岐阜県地歌舞伎保存振興協議会の会長で、美濃地歌舞伎博物館相生座の館長、ミュージアム中仙道の館長でもあられる小栗幸江様です。かねてから文化の薫り高いと言われてきた東濃地域から「地歌舞伎のレジェンド」と称される博物館学芸員の小栗さんをお迎えすることができたのは、マネジメントと総合芸術の両立という点から見ても意義ある講演でした。
教育学部の70名、市民の皆様・教職員合わせて約30名が、厳重なコロナ感染症予防体制のもと、先生の身振り手振り・声色(こわいろ)を交えたお話に聴き入りました。

小栗さんは、小学校2年生のときから歌舞伎とともに生きてきました。
父の故克介さんが大の芝居好きで、当時の市川猿之助とも交友があって歌舞伎の真髄に触れる機会があったことや、母上の妹さんのお見合いの場が歌舞伎公演だったり、豪華絢爛たる衣装の数々に魅せられ、あこがれたことなどから、大学ご卒業後すぐに、父上とともに「美濃歌舞伎保存会」を創設されました。
ゴルフ場の車庫に舞台を架け、駐車場にテントを張って客席を作り、保存会の第一回公演が行われたのは1972(昭和47)年のことでした。芝居の技もさることながら、この頃から衣装などの寄託も行われるようになり、その保管を含めて「伝統文化の保存・継承」は小栗さんご一家にとって、今に至る大きなミッションとなっています。

本拠地となる相生座は、解体寸前だった東濃と飛騨の芝居小屋を譲り受けて、1976(昭和51)年に現在の瑞浪市日吉に移築再建したものです。
古来、「芝居」は神社の拝殿などで氏子が神に奉納する場でした。1894(明治27)年に当時の益田郡宮地の村人が総力を結集して建てた公民館たる舞台を良好な状態で移築した「新しい相生座」は、広い各席に二つの花道、回り舞台などを備えた立派な農村舞台で、後に克介さんがここで演じられる芝居を「地歌舞伎」と呼んで「にわか」や「獅子芝居」などの「地芝居」と明確に区別するようになったことと合わせて、全国に「美濃の地歌舞伎」の名が知れ渡るようになりました。

「歌舞伎」の語源は、「歌」「舞」「伎(技)」で、「うた」「おどり」「わざ」の総合的な舞台芸術と言って良いでしょう。「カブク(傾く)」ということばがありますが、それは江戸時代の初め、戦の時代が終わり、整備された街道によって文化の交流が盛んになると、出雲の巫女の「国(阿国=おくに)」のように、京に上って変わった姿の男装で唄い踊る、いわゆる「カブキ者」が現れました。鎖国のもとでの異国文化へのあこがれ、閉塞感への反発がそのような人たちを生んだのでしょうか。
このような「女芝居(歌舞伎)」や、前髪のある少年が演じる「若衆芝居(歌舞伎)」はすぐに禁じられ、やがて成人男性が演じる「野郎芝居(歌舞伎)」が盛んになりますが、その伝統が今に伝わって、男の世界が出来上がったのです。技術が重んじられ、専門に女性役を演じる「女方(女形)おんながた(おやま)」も現れました。いずれにしても、地歌舞伎の魅力は、心中や刃傷など、非日常的な事件の上演を通じて、観る人たちに疑似体験を通じての精神の解放をもたらすものでした。

小栗さんのもう一つの仕事は、「衣装」や「鬘(かつら)」などの修復・保存・活用です。かつて芝居が盛んだった頃には衣装や鬘を作り、貸しだす家が多くあり、戦前でも数軒あったようですが、今では相生座の他には一軒あるくらいに減ってしまいました。
歌舞伎には「役衣装」といって、演じる役専用の特別な柄・紋様の衣装があります。錦(にしき=さまざまな色の絹糸を用いた織物)が原則ですが、一枚の着物が二通り、三通りに変化したり、中に詰め物をして照明に映えるように工夫したりと、「江戸期の三代悪所」と詠われた大奥・遊郭・芝居小屋が生み出した着物の流行を垣間見ることができる豪華絢爛たる衣装が生み出されました。
いま、相生座には約4000点の衣装・鬘が大切に保存されています。

袖萩が三味線を弾く姿の所作をする小栗氏

小栗さんはまた、全国の約200の地芝居・農村歌舞伎・素人歌舞伎保存団体の内の32団体を誇る岐阜県の「岐阜県地歌舞伎保存振興協議会」の会長でもあられます。
博物館相生座の館長であると同時に三味線を弾き竹本を語ることは言うまでもなく、ここで催される歌舞伎公演のプロデューサーでもある小栗さんはまた、岐阜県の地歌舞伎の保存と振興、行方を見据えるマネージャーでもありますが、一番の悩みは後継者をいかにして見つけ、育てるかだと話されました。今後の大仕事になりそうです。
「地歌舞伎の良さは、素人が大まじめで取り組んでいること」と断言する小栗さんは、「髪結い、着付け、着物の仕立てなど、舞台を支える人たちは一朝一夕では育たない。大歌舞伎のまねではない、江戸の風情を残す地歌舞伎を続ける。」とも述べられ、最後に生の迫力を2つ披露してくださいました。
 

台詞
【ここらあたりは山家ゆえ紅葉があるのに雪が降る・・・・。
 わしは車に居れば寒うはない・・・・・・】
「箱根霊験躄仇討」より

所作
「奥州安達原三段目」より
【袖萩が三味線を弾く姿】【袖萩がゴザをかぶる姿】
(本文中の写真)

講演をする小栗氏
会場の様子
質問をする参加者の様子

大きな目標に向かう小栗さんに心から声援を送ったひとときでした。

(文責:今井春昭  写真:林賢一、野口晃一郎)

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