高校生「心に残った“ありがとう”」体験記エッセイ入選作品決まる

中部学院大学人間福祉学部は高校生を対象に体験記エッセイを募集しました。この度、優秀賞などの受賞者が決まりましたのでお知らせします。

今年度のテーマ「心に残った“ありがとう”」には154編の応募をいただきました。ご応募下さった皆さん、ありがとうございました。
どの作品も貴重な体験を踏まえて皆さんの優しい気持ちが伝わるとても良い作品でした。その中から優秀賞10編と佳作2編を選定いたしました。

 

  • 募集テーマ : 「心に残った“ありがとう”」
  • 募集要件 : 100 ~400字程度
  • 応募期間 : 2020年7月5日(月)~ 9月17日(金)
  • 応募総数 : 154編
  • 受賞者 : 優秀賞10編/佳作2編

入選者一覧

  氏名(敬称略) 学校名 学年
優秀賞 安保 星也 岐阜県立坂下高等学校 2年生
優秀賞 石原 未結 済美高等学校 2年生
優秀賞 江頭 未来 岐阜県立坂下高等学校 2年生
優秀賞 小川 非公表 3年生
優秀賞 木下 愛理 済美高等学校 2年生
優秀賞 國保 愛風 岐阜県立岐阜各務野高等学校 1年生
優秀賞 柴田 美輝 ルネサンス豊田東高等学校 3年生
優秀賞 杉岡 さつき 済美高等学校 2年生
優秀賞 滝川 絢 岐阜県立岐阜各務野高等学校 3年生
優秀賞 玉田 雄大 済美高等学校 3年生
佳作 中村 桃香 岐阜県立大垣桜高等学校 3年生
佳作 野々村 郁 岐阜県立郡上北高等学校 2年生

入選作品

優秀賞10編

安保 星也 さん(岐阜県立坂下高等学校2年)

私にはラテン系フィリピン人の母がいます。幼いころから周り価値観や趣味が違う事もあり、少しでも馴染むために周りに合わせて生活していました。いじめの経験から怖気づいてしまい、次第に話や笑いについていくことが難しくなりました。そんな時に母はカタコトの日本語で『何でアナタそんなに悩む?周りと違うのがそんなにコワいか?人と違うのは当たり前なんだよ。アタシはコワくないよ?周りと違う私大好きだよ?むしろ同じなのつまらんわ!』と私を笑いました。その時初めて自分を好きになれた気がしました。もう私はコワくありません。前よりずっと自分が好きです。気づかせてくれた母にありがとう。心からそう思います。

石原 未結 さん(済美高等学校2年)

お母さんありがとう。何度言っても言い足りないくらい、お母さんには感謝しかありません。私は小学4年生の終わりからずっと頭の髪の毛がありません。原因不明で脱毛症になりました。塾では髪の毛が抜けていることをコソコソ噂され、いつしか私は人を信用できなくなっていました。原因不明なので治療法も分からずいくつもの病院に通いました。病院に行くたびにお母さんは涙目になりながら必死に医者に説明をして治してもらおうとしてくれました。夜遅くまで本で脱毛症の事を勉強しているのも、ずっと隣で見ていました。「絶対に治してあげるからね。成人式には真っ赤な振袖に合う可愛い髪型にアレンジしてあげるからね。」と言われたのを覚えています。私の家は大金持ちというわけでもないし、薬の値段もとても高くて家計が苦しかったのも知っていました。それでも娘の為に必死になって働いて、治そうとしてくれたこと。ほんとに感謝で頭が上がりません。今の私は少しずつ髪の毛が生えてきていて、もう少し頑張れば完治出来ます。ここまで良くなったのもお母さんのおかげです。本当にありがとう。大学を卒業したら地元で就職して、今まで助けてもらった分、今度は私がお母さんを助けようと思いました。それは働いてお金を稼ぐとかだけではなく、コミュニケーションをたくさんとったり、感謝を忘れずに笑顔でいることもです。ずっと長生きで生きててね。「成人式。楽しみだね!!!」お母さん大好き!

江頭 未来 さん(岐阜県立坂下高等学校2年)

「大丈夫。ずっと味方だから」この言葉は私が虐められてる時に先生からかけてもらった言葉です。学校に行くのが憂鬱で友達には一切味方がいませんでした。でも唯一学校に行こうと思える理由がありました。それは毎日保健室の先生に会いに行くことでした。保健室だけが自分の唯一の居場所だったからです。中々誰にも相談できず困っていた時その先生になら話せるような気がしました。何事にも否定せず、話を聴いてくれました。私は途中で今までのことを思い出し、涙が溢れて話すことができなくなってしまいました。その時先生が私の背中を擦りながら「大丈夫。ずっと味方だから」と言ってくれました。誰でも思いついて誰でも言えるようなありきたりな言葉ですがその言葉はとても私の中で響きました。本当にこの言葉には何度も救われました。今は、その先生に会えないけどいつか、また会える日が来たら「先生。ありがとう」って直接自分の口から伝えたいです。

小川 さん(3年)

皆さんは、日頃から素直に「ありがとう」と言えていますか。 私は少し気恥ずかしさを感じてしまい、素直に言葉が出て来ないことが多くあります。そんな時、私にはいつも思い浮かぶ人がいます。それは、私の弟です。 私には3つ年下の弟がいます。発達障害があり、音に敏感だったり、相手の気持ちや言葉を理解すること、感情のコントロールなどが苦手です。人よりも少し苦手なことの多い弟ですが、私はとても羨ましいと感じるところがあります。それは、弟の素直さです。自分が悪いと思えば「ごめんなさい」、人に良くしてもらったら「ありがとう」と素直にいいます。こういった弟の言葉は私たちも素直に受け取ることができます。そんな経験から、素直な言葉や思いは人に伝わりやすいのだとわたしは考えます。大切な思いや感謝の気持ちは、自分が感じたそのままの素直な思いと気持ちを大切にして欲しいと思います。

木下 愛理 さん(済美高等学校2年)

「どうぞ」私は勇気を振り絞った。私は毎日高校に電車を使って登校している。ある日の下校の時私が電車の席に座っていると白杖の持った男性が電車に乗ってきた。私は勇気を出せず見て見ぬふりをしてしまった。すると1人の女性が「ここ空いてますよ」と声をかけていた。私は福祉コースで学ぶ生徒なのに出来なかった。次は声をかけてみようと思った。またある日の下校で私はまた白杖を持っている男性に会った。私は勇気を振り絞り肩を優しく叩き「ここの席どうぞ」と声をかけた。その男性は「ありがとうございます」と言ってくれた。私は嬉しかった。感謝の言葉を言われたこと、助けられたこと。あの時勇気を出せたこと。

國保 愛風 さん(岐阜県立岐阜各務野高校1年)

私は今年に入り児童養護施設の職員になるという夢を持つことが出来ました。そう思わせてくれたのは中学三年生まで私がお世話になっていた施設の職員さんでした。私は年長から中学三年生までの約9年間施設で生活をしました。その中で職員のさんとの意見の食い違いや私の一方的な八つ当たりから職員さんと口論になることが度々ありました。しかし職員さんは私が八つ当たりをした時も、傷つけた時もどんなときでも私の話を受け止めてくれました。今年、そんな施設を退寮し、私はこのことが当たり前では無いことに気付かされました。だからこそ私は将来この職員さんのように話を受け止められる人になりたいと思うことができました。なので、これからは今まで支えてくれた職員さんに感謝し、感謝する側からされる側に少しでもなれるようにしていきたいです。

柴田 美輝 さん(ルネサンス豊田東高等学校3年)

私はパニック障害である。パニック障害とは突然動悸や目眩などの発作が起こるものだ。私は特に電車が苦手だったが、少しずつ慣らそうと思い、ある日一人で電車で帰ることにした。あと少しで電車が来る。そんな時に突然発作が起こった。倒れそうになった私は力を振り絞り駅のホームのベンチまで辿り着いた。そこで苦しんでいると、とある女性が声を掛けてきた。「大丈夫?体調悪い?」と優しく聞く女性に理由を話すと、女性は隣に座り介抱してくれた。そして、症状が落ち着いてから、電車に一緒に乗って付き添ってくれたのだ。おかげで途中の駅まで行くことができ、迎えに来てくれた親と合流して帰ることができた。もし、女性が声を掛けてくれなかったら私は駅から動けず帰ることができなかった。この出来事を思い出すたびにあの女性への感謝の気持ちが込み上げてくる。私もあの女性のように困っている人に声を掛けることができる人になりたい。

杉岡 さつき さん(済美高等学校2年)

小学校の頃から人見知りで引っ込み思案な私。いつも誰かから声をかけてもらえないと話せないでいました。そんな中毎日のように「一緒に遊ぼう!」「何してるの?」と声をかけてくれるクラスメイトがいました。その子たちは嫌な顔一つせずに見てるこっちまで笑顔になれるそんな優しい笑顔で毎日話しかけて来てくれました。私はこの子たちのおかげで少しずつ人見知りをしなくなり、次は私から遊びに誘うこともできるようになりました。今こんなにも毎日を楽しく過ごせているのは小学校の頃の友達のおかげです。毎日感謝してもしきれないほどの財産を私にくれました。次はこの笑顔の輪を自分から周りへと広げていけるようになりたいです。自分の笑顔で1人でも笑顔になってくれればそれは大人になっても自分にとって最強の武器になると思いました。

滝川 絢 さん(岐阜県立岐阜各務野高等学校3年)

中学3年生の私は進路を決定するきっかけをくれたおばあさんに出会いました。 「介護福祉士になりたい。でも、福祉の世界は優しい人を求めている、そんな中に私が入ってもいいのか。」私は誰にも言えず1人で悩み進路を決定出来ていませんでした。 学校の行事で地域の福祉施設に行った私は1人のおばあさんに「なにか夢はあるの?」と聞かれ「こういう所で働ける介護福祉士さんになりたいです」そう伝えると、おばあさんは目に涙を浮かべていました。 「あなたみたいな優しい人をみんな求めているよ、いつでもここにおいで。ありがとうね。」 この一言がすごく嬉しくて、不思議と涙が溢れました。すごく心が救われました。 今はこの言葉を忘れることなく、介護福祉士になるために勉強をし続けています。 おばあさんの「ありがとう」は私を今でも支えてくれています。 これからも誰よりも「ありがとう」を大切にした生活を送ります。おばあさん本当にありがとう。

玉田 雄大 さん(済美高等学校 3年)

僕は弟にとても感謝しています。小学校のとき僕は給食委員だったので毎日最後まで調理室に残り仕事をしていました。とても面倒な仕事だったので気分もやる気もなくなります。でもそんなとき弟は食器を片付けたあと抱きついてきて(一緒にいようよ)と言っていつも一緒にいてくれました。学校が苦痛と感じていた僕にとって弟は癒しの存在でした。中学に上がっても仲良くしていましたが弟にある事件が起きました。右膝に大きな病気ができたのです。弟は1年半も入院することになりました。この時期、ちょうどコロナウイルスが流行りだし会いに行くことすら出来なくなってしまいました。弟が入院している間はとても寂しかったです。親が弟のそばにいてあげているのでいつも通り家に帰って[ただいま!]と言っても返事がない、いつも通りの生活ができないことが苦痛でした。でも家族で乗り越えようと約束したので弟も僕も1年半お互いに頑張りました。そして退院したときまた抱きついてきました。弟の温もりを感じたとき、一緒にいてくれてありがとうと心から思いました。

佳作2編

中村 桃香 さん(岐阜県立大垣桜高等学校 3年)

私は高校生活で多くの介護実習を行った。実習させて頂いている期間、利用者さんから頂く沢山の「ありがとう」。この「ありがとう」という一言に私はいつも元気をもらったり救われていた。 ある日、移乗介助を行った時に利用者さんから、「あんた痛くないわ、ありがとね」と言って頂いた。利用者さんに負担のかけない介護ができたという喜びを感じ、自分の自信に繋がった。 帰り際には、「今日もありがとう、明日もお願いね」と笑顔で言って頂け、とても心が温かくなった。そして、また明日も頑張ろうと強く思うことができた。 利用者さんの温かい言葉一つで最後まで実習をやりきることができた。また、自分に自信を持つことができ、感謝している。「ありがとう」このたった5文字は人をいろいろな気持ちにさせると思う。私も誰かの心に残る「ありがとう」を言える人になりたい。

野々村 郁 さん(岐阜県立郡上北高等学校2年)

私は、日頃の運動の為に学校が終わって帰宅した後や休日の夕方頃に川沿いの堤防道路をジョギングをしている。夕方頃は犬と散歩している人や仕事帰りの人などすれちがう。私はよくすれちがう人がいる。それは犬と散歩しているおばあさんだ。おばあさんは話しかけてくる。「お兄ちゃん大変だね、頑張って!」や「お兄ちゃんすごいね!」と励まされる。私は「ありがとうございます!」と返す。私は嬉しくなりいつもより走るテンポが速くなる。私は、励ますことは元気や勇気を与えるのだなと思いました。私はおばあさんだけではなくいつも応援してくれる親にも「ありがとう」と言いたいです。

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