経営学部

「現代マネジメント研究」第8回 大田可奈子氏 講義

2019.07.16

2019年度 中部学院大学・シティカレッジ各務原/関 公開講座

第8回 『伝統文化の継承』
岐阜芸妓組合 組合長
大田可奈子 氏

大田可奈子氏

講演の様子

講演の様子

講演の様子

講演の様子

講演の様子

7月16日(火)第2限、第8回の「現代マネジメント研究」講演会を開催しました。二十年に及ぶ歴史を持つこの講座は、短期大学部経営情報学科時代からの伝統ある授業の一つで、市民の皆様方のご要望にお応えして一般公開してきたものを、各務原キャンパス開設の2016年度から、経営学部とシティカレッジ各務原・シティカレッジ関との連携事業とし、さらに2018年度からは全学と全シティカレッジ対象の「中部学院大学公開講座」として実施しています。
講師をお願いしたのは、岐阜芸妓組合の組合長、大田可奈子様で、学生・市民の皆様合わせて約220名が拝聴・拝見しました。
今回は、演題の「伝統文化の継承」にふさわしい内容となるようにと、地方(じかた)として演奏(三味線など)をする”たより”さん、立方(たちかた)として踊りを受け持つ”みゆき”さんの3人お揃いでお越しいただきました。
なお、大田さんは鳴物鼓・住田流師範、舞踊西川流・師範、長唄・杵屋流名取でもあられます。
この日は皆様、正装の支度をしてお越しいただきました。

大田様はお話はまず、2014(平成26)年9月に岐阜芸妓組合の組合長をお引き受けになられた頃に出演されたテレビ番組"Top interview"で始まりました。この中の大田様の言葉で印象に残ったのは、「じっとしていては駄目」「地域との繋がりが大切」でした。

岐阜は一宮などと並ぶ繊維の街で、戦前の最盛期には、520名ほどの芸妓、130軒ほどの料理屋、87軒の待合(註:今でいう二次会会場になる座敷)があったという記録が残っているそうです。、戦後は芸妓の数が減ったものの、花街の再開は早く、1960年代の後半(昭和35年頃)には立派な自前の「検番」(註:事務所・連絡所)を建設し、最盛期には検番が3つ、芸妓の数も300名以上に達しました。
岐阜芸妓組合(華陽検番)のピークは1965(昭和40)年頃で、150名の芸妓がおりましたが、以後は少しずつ減少し、1984(昭和59)年には約50名ほどとなり、自前の検番も廃止となってしまいました。最近ではその数も17名となっています。大田様の「じっとしていては駄目」「地域との繋がりが大切」という経営戦略も、そういった背景があることによるものと思われます。

しかし、このような衰退一途の趨勢に、関係の皆様が無策であったわけでは決してありません。すでに1982(昭和57)年には金沢市に「伝統芸能振興協同組合」が、また1988(昭和63)年には新潟市古町に「振袖さん」(のち「柳都」)制度が誕生、1989(平成元)年には名古屋市にも「伝統芸能振興会」が発足していました。岐阜芸妓組合は1984(昭和59)年に結成されており、先例の研究を重ね、1991(平成3)年、岐阜商工会議所を中心とする「岐阜芸妓振興会」が発足、途絶えていた「岐阜踊り」(註:芸妓たちの発表会)も復活したのです。

大田様の「伝統芸能の継承」には、これら、組織化や連携という継承施策とは別の意味が込められています。自分たちは古いものを守ることに一生懸命だが、それだけでは必ずすたれる。希望は若い人たちだ。(学生諸君に)あなたたちが今日、見たこと感じたこと、経験したことを多くの人たちに話していただきたい。ここにいない人たちにこの世界のことを語ってほしいと強調されました。
ご自身も、お嬢様の大学卒業論文の一節「新しいものと古いものとを上手く両立させ、日本舞踊の可能性を多くの若者に感じ取ってもらう「仕組み」(「」筆者)づくりができれば、文化の衰退を防ぎ、かつ発展を促せるのではないか」を引用されました。
古いものは自分たちのところにある。では新しいものはどこにある。中部学院大学の「現代マネジメント研究」の一コマの講義をお引き受けいただけたのも、この新しいもの、二十歳前の学生達の反応や表情、こだま、などを確かめようとなさったのかもしれません。約140名の学生諸君とおよそ80名の市民の皆様方から大田様に届いたメッセージは何だったでしょうか。

お話の後、”たより”さんの唄と三味線、”みゆき”さんの踊りには会場が静まりかえり、金屏風、赤の毛氈(もうせん=毛織物に圧力をかけた敷物。フェルト)が照明に映えて、一幅の絵を見るかのような光景が展開しました。

ご講演の開始早々、”みゆき”さんをモデルにした一連の「支度」スライドの上映の後に教室の後方入口から登場した「白塗り」のご本人にも、会場が沸きました。スライドは、固形石けんによる洗顔、鬘(かつら)をのせるための羽二重捲き、白塗り用の化粧下地、スチィックファンデーション、白塗り、眉書き、目張とアイライナー、鼻筋のぼかし、マスカラ・口紅、そして鬘をのせるという流れるような行程が約30分、着物に15分、合わせて約1時間を要するとのことです。男物の鬘を学生諸君が手にとって感じることができるような配慮もいただきました。
また、”たより”さんによる三味線の歴史、原材料、部位の名称など、貴重な解説や逸話をお聞きすることができました。

大田様にも、鳴物の一つで代々受け継がれてきた由緒ある「鼓」の組み立て?から、何年やってもとても難しい「音色」の調整(雨の日・晴れの日・調子紙・組み方など)など、極めて貴重な奥義を見せていただきました。毎日触っていても、いい音色を出すのは難しいとのこと。打っておられる間中、息を吹きかけたり濡らしたりで、「芸」の奥行きを感じさせていただきました。

貴重なお話の合間に演じていただいたのは、三味線と唄、踊りによる小唄「風折えぼし」、「梅は咲いたか」、鼓とCD、踊りによる長唄「鶴亀」でした。「風・・」は鵜飼いを行う鵜匠が頭に被っている麻の布をテーマに明治23年に作られたもので、踊りの中に鵜や川の波などが表現されています。「梅・・」は明治時代に流行った唄で、梅や桜、柳・山吹になぞらえて芸妓さんをイメージしたもの、「鶴・・」は祝いの席でよく演じられる曲で、江戸時代後期に作曲されました。長唄は元来歌舞伎の演奏音楽として発達したので演奏時間は長く、本来は三味線・唄・鼓・大かわ(大型の鼓)・太鼓・笛などによるものです。日本のオーケストラといっていいかもしれません。

最後に、学生諸君から希望者を募って浴衣の着付け体験を行っていただきました。写真にもあるように、プロの人たちによる一流の早業に、会場は大変な騒ぎとなりました。
伝統芸能の継承、あるいは創作を目指しての、皆様のご活躍を一同で祈念した90分でした。

浴衣の着付け体験

記念撮影

(文責:今井春昭、 写真:林賢一・野口晃一郎)

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