中部学院について

「信じる者は救われる」

2012年7月19日 「信じる者は救われる」
林 茂則(岐阜済美学院学院長)

聖書:ローマの信徒への手紙 22~25節
「すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。」

聖書 新共同訳 ©共同訳聖書実行委員会、©日本聖書協会

はじめに、クイズを出します。ここに立っている「私は誰でしょうか。」
今度は皆さんが自分に問いかけてみてください。「私は誰でしょう、Who am I?」。そして、自らその問いに答えてください。自分はどんな人間であるか、答えを出してください。

ここでまとめをしておきます。人間はあらゆることを学ぶ力があります。また、学んだことを蓄える力を持っています。さらには、それを活用して、生活を豊かにすることができます。だから、学ぶことを大切にしてください。

人間の持っている能力について、もう一つ考えてみます。それは人間が見たことのない、聞いたことのない、経験したことがないことでも、それを信ずることができることです。これは人間にしか与えられていない力です。

私たちは、どこか自己実現できる場所を居場所と呼んでいます。しかし、自己実現は、他者を排除し、最終的には自分をも排除するのです。けれども、神はその自己中心的な私たちを裁くのではなく、赦すために、イエスを十字架に架けたのです。それは、神が私たちの存在をそのまま愛し、赦す証拠だったのです。

皆さんは旧約聖書に示されている十戒を知っていると思います。それだけでなく、その一つも守れない自分であることを知っています。十戒を守れないということは、正しいこと、義ではありません。神にそむいていることです。ならば、どうすればいいのか。誰も守れない、世の中には正しい人はいないのだから、自分勝手に生きたらいいではないか。そうしたいけれども、それができない自分がいます。どうすればいいのでしょう。そんな行き詰まった私たちに、聖書は、イエス・キリストは語りかけてくれます。

イエス・キリストは、私たち人間の罪・咎(とが)をすべて肩代わりしてくださると信じることにより、信じるものすべてに、神の義が認められるのです。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによるあがないの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

イエス・キリストを信じて、重荷を下ろすために、近くの教会を訪ねましょう。

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