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「苦難のときの助け」

2010年7月8日「苦難のときの助け」
中根 汎信(日本キリスト改革派那加教会牧師)

聖書:詩編 46編1-12節
神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
わたしたちは決して恐れない
地が姿を変え
山々が揺らいで海の中に移るとも
海の水が騒ぎ、沸き返り
その高ぶるさまに山々が震えるとも。

大河とその流れは、神の都に喜びを与える
いと高き神のいます聖所に。
神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。
夜明けとともに、神は助けをお与えになる。
すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。
神が御声を出されると、地は溶け去る。

万軍の主はわたしたちと共にいます。
ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。

主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。
主はこの地を圧倒される。
地の果てまで、戦いを断ち
弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。

「力を捨てよ、知れ
わたしは神。
国々にあがめられ、この地であがめられる。」

万軍の主はわたしたちと共にいます。
ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。

聖書 新共同訳 ©共同訳聖書実行委員会、©日本聖書協会

今日、皆様とともに学ぼうとしている詩編46編は、力強く私たちを支え励ます神の御言葉です。宗教改革者マルチン・ルターは、この詩編をもとに讃美歌377番「神はわが砦」をかきました。彼はたいへん意志の強い英雄のように思われています。しかしその働きは困難をきわめ、生命の危険もしばしばでした。彼がすっかり滅入っていたとき、彼の妻が黒い喪服を着て彼の部屋に入ってきました。そして冗談で「神様が亡くなられました」とルターに言いました。ルターは、はっと我にかえり、自分の信仰はまるで神様が死んでしまわれたかのようであったと気付きました。彼の心にふたたび光が与えられ、勇気を奮い起こすことができました。ルターほどの人でも大きな悩みのなかで苦しむことがあります。偉大な信仰者とか聖者には悩みや苦しみなど無いのでしょうか。私たち凡人とは違うかのように思われるかもしれません。しかしそうではありません。ただその苦難のただ中で、「わたしたちの避けどころ、わたしたちの砦」である神様により頼み、神様は「必ずそこにいまして助けてくださる」と信じて、もう一度立ち上がるのです。ルターはそういう苦難の中でこの讃美歌をつくりました。1529年、ルターが宗教改革を始めて12年目のことでした。迫り来る危険や不安の中でこの詩編を歌うことにより、勇気を与えられたのです。以来どれだけ多くの人がこの詩編、この讃美歌で励まされ勇気をふるい起こされたことでしょうか。

この詩編を読むと、たいへん対照的な二つの世界があることに気付かされます。ひとつは激しく混乱し、動揺している世界です。もうひとつはその激動の渦中にあって、なお不思議な静けさ・平安にみたされた世界です。この激しい動揺・混乱は何でしょうか。文字どおりの天変地異というよりも、戦争や迫害、侵略、さまざまの人生の戦いのなかでの、社会的・政治的激動のことでしょう。1節の「苦難の時」は複数形で書かれています。とだえることなく襲いかかって来るいろいろな戦い、苦難があります。いつまで続くか、このぬかるみぞ、と思うことがあります。そして深い孤独感・絶望感におちいることがあるかもしれません。しかしその時、あなたはけっして一人ではないのです。

あるクリスチャンの詩人の次のような詩があります。

「病まなければ ささげ得ない祈りがある/病まなければ 信じ得ない奇蹟がある/病まなければ 聴き得ない御言葉がある/病まなければ 近づき得ない聖所がある/病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある/おお 病まなければ/私は人間でさえもあり得なかった」

「祈りの塔」河野 進

「病む」、これを苦難とか苦悩、あるいは不安と置き換えてもよいでしょう。そのただ中にあって、私たちへの神の力、神の助け、神の愛は変わることがない。しかも「必ずそこにいまして助けてくださる」のです。最近つくづく考えさせられることは、人間の弱さということです。自分も弱い、またまわりの人も弱さを抱えています。一見強そうに見えていても、多くの弱さを抱え込んで生きています。しかし神様は弱い者を受け入れ、御自分の民・御自分の子供として育んでくださるのです。そして御言葉により、私たちを励まし、力を与えてくださいます。自分の生きてきた拠りどころ、自分を支えていたものが、足もとから崩れ去っていくような思いにかられることがあります。私たちが不動の基盤としていた大地が姿を変えると2節にあります。それでも神様を避けどころとし、砦とする者は、けっして恐れないといいます。

この詩編はこのような激しい動きとならんで、そのただ中に非常に静かな世界があるといいました。この静けさはいったい何でしょうか。不安や人生の嵐のなかで、疲れ果てたすえ、もうこの世がいやになったと逃げ出して隠遁的な生活をする、そのような静けさでしょうか。めんどうな人生を振りきって、出家でもして静かな余生をおくるというのでしょうか。この詩編の静けさはそうではありません。不安や混乱から逃避するのではなく、そのただ中にあって、恐れないで神様に信頼し、神様の勝利にあずかるのです。そういう力を神様が与えてくださるのです。私たちの弱さのなかに働かれる神様を、固く信じる時に与えられる静けさです。これから人生の大海原に漕ぎだそうとしておられる皆様のうえに、神様のお恵みを祈ります。思わぬ人生の嵐に遭遇したときに、この詩編46編を、そして讃美歌377番を思い起こしていただければ幸いです。神様からの平安が訪れることでしょう。

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