中部学院について

「こんなに長くて遅いマラソンがあった」

2009年10月22日、11月5日「こんなに長くて遅いマラソンがあった」
志村 真(中部学院大学短期大学部 宗教主事)

聖書:フィリピの信徒への手紙3章13~14節
兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

聖書 新共同訳 ©共同訳聖書実行委員会、©日本聖書協会

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先日、妻から大変面白いストーリーを聞きました。毎月、白川町にある「光の子保育園」の子どもたちに聖書のお話しをしに行くのですが、運動会シーズンでしたので、世界で一番遅いマラソン記録のことを話したそうです。後で調べると、今年の5月にTV番組でも紹介されたということですが、残念ながら見逃してしまいました。(2009年5月22日放送、TV東京「世界を変える100人の日本人・金栗四三」)
現在、男子マラソンの世界記録は、昨年9月にエチオピアのハイレ・ゲブレシラシエ選手が出した2時間3分59秒で、女子の世界記録は、2003年4月にイギリスのポーラ・ラドクリフ選手がマークした2時間15分25秒だそうです。男子ですと、100mを17.63秒で42km195mを走りとおすことになります。一方、これが今日お話ししたいことですが、オリンピックのマラソン競技でもっとも遅かった記録は、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3だそうです。1912年にスウェーデンのストックホルム大会で、日本の金栗四三(かなぐり・しそう、1891年~1984年)が記録したものです。と言いますか、54年以上もかかっているわけですので、1912年の記録ではなく、1912年から始まる記録ということですね。ちなみに、42.195kmを54年8カ月6日5時間32分20秒で割りますと、うるう年などがあって正確とは言えませんが、1mを40898秒、すなわち1mを11.36時間で走った計算になります。

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しかし、いったいどうしてそのような記録が生まれたのでしょう。金栗四三選手は、ストックホルム・オリンピック開催の前年(1911年)に行われた国内予選で、独自に開発したマラソン足袋をはいて走り、当時の世界記録を27分も縮める記録をマークしました。そして、オリンピック代表に選ばれます。ストックホルム・オリンピックのマラソン競技は、19か国から68人の選手が参加して、7月14日に開催されました。南アフリカのケネス・マッカーサー選手が2時間36分54秒のオリンピック記録で金メダルに輝きました。しかし、40度もの気温の中、行われたこのレースは過酷で、参加68人中、完走できたのは35人で、ポルトガルで初めてオリンピック・マラソンに出場したフランシス・ラザロ選手は29キロ地点で気を失って倒れ、翌日亡くなっています。脱水症であったと言われています。

さて、金栗選手はどうだったのでしょう。彼はその日、不利な条件を背負っていました。日本からの船での長旅、不慣れな食事、さらには会場への車の手配がうまくいっておらず、走って会場入りをせざるを得なかったそうです。金栗選手はスタートを切ったものの、余りもの暑さのため、26kmを超えたところで意識を失って倒れてしまいました。そして、近くの農家の方が倒れている彼を介抱します。金栗選手が目を覚ましたのは、既に競技も終わった翌日の朝だったとのことです。普通なら、競技を棄権したということになるのでしょうが、これも手違いで棄権の意思が大会本部に伝わらず、金栗選手は「競技中に失踪し行方不明」とされてしまいました。

さて、それから55年後の1967年3月、金栗のもとに一通の招待状が届けられます。それは、スウェーデン・オリンピック委員会からのもので、ストックホルム・オリンピック開催55周年の記念式典に来てほしいというものでした。先ほど紹介したように、彼は記録上、「競技中に失踪し行方不明」になっており、記念行事の準備をしていたオリンピック委員会がこの記録に気付き、「行方不明」の金栗の消息を調べ、彼を招いてゴールさせることにしたのです。「あなたは行方不明になっています。ぜひ、ゴールしにきてください」というわけですね。果たして、76歳になっていた金栗はストックホルムに赴き、祈念式典の中で、用意されていたゴールテープを切りました。スウェーデン・オリンピック委員会は「これをもってストックホルム・オリンピックの全競技日程を終了する」と宣言したそうです。(長いレースの途中でスーツに着替えた金栗さんが両手を挙げてゴールしている写真が、出身校である熊本県立玉名高校のHPに掲載されています。)こうした計らいをするスウェーデン・オリンピック委員会も粋ですが、それに応えた金栗はゴール後のスピーチで、「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とユーモア溢れるコメントをしたそうです。ここに世界でもっとも遅い、公式マラソン記録が刻まれました。54年8ヶ月6日5時間32分20秒3です。この記録が破られる事はおそらく無いでしょう。

私がこのストーリーの中で気に入っている点は、ゴール・シーンでの人生を感じさせるユーモア溢れるコメントだけではありません。金栗選手がなぜ行方不明になったかについて、スウェーデンでは次のようなエピソードが流れていた点です。すなわち、彼が競技中、走るのを止めてしまった理由は、ストックホルムのソーレントゥナ(Sollentuna)地区のある家庭が走っている金栗選手を庭でのお茶に誘ったからだ。そして、彼がお菓子とお茶をご馳走になっている間にマラソンは終わってしまった、というのです。オリンピック競技中にもかかわらず、思わず立ち寄ってご馳走になってしまうほど、ストックホルムのお茶は素晴らしい、とスウェーデンの人たちは思ってらっしゃる。なんて、素敵な郷土愛なのでしょう!

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ランナーとしての金栗四三は、1920年のアントワープ・オリンピックと1924年のパリ・オリンピックにも出場します。そして、アントワープでは16位で完走しますが、パリでは残念ながら途中棄権しています。また、彼は1920年に第1回が開催された「箱根駅伝」のために力を尽したり、女子の体育を奨励したりして、「日本のマラソンの父」と呼ばれています。彼が生涯で走破した距離は25万kmと言われ、それは地球を6周と4分の1周ったことになります。

金栗選手の生涯とストックホルム・オリンピックでのエピソードから私たちが学ぶことは、思ったようにはゴールできなくても、最終的には、思いもよらなかったような別のゴールが人情溢れる人々によって用意されていることがある。最初から最後まで走りぬけるマラソンもあるが、歩いたり、立ち止まったり、また場合によっては途中で倒れて気を失うレースもある。けれどもそこにはまたしても心優しい人がいて、介抱してくださり、再び歩き始めることができる。ときには、レース中に呼び止められ、素敵なお茶に招かれ、しばしお茶とお菓子に心なごませることもある。
人生はマラソンに譬えられることがよくあります。今朝の聖書の個所を書いたパウロという人も、古代ギリシア・ローマのスポーツ競技について知っていたようで、人生およびキリスト教の信仰生活を長距離走にたとえています。金栗選手は、1912年7月にスタートしたマラソンを1967年3月にゴールしたのは、彼一人の力によるのではありませんでした。それを用意した人々がおりました。彼はそれに応えました。いわば、世界最低記録を打ち立てるために出かけたのです。その結果、世界の人々は「人生には色々なゴールの仕方がある」「人一人の人生のゴールには色々な人たちが関わっている」ことを改めて感じることになりました。すなわち、「人生はマラソンである。」しかも、単に一定の距離を誰が早く走るかという競争から、人生の意味を考えさせる競争とは別の深い意味を与えたのです。

皆さんのマラソンはスタートしたばかりです。時には歩いたり、立ち止まったり、寄り道したり、休んだりしながら、ゴールを目指して進んでいきましょう。思いもよらない、豊かで暖かさに満ちたゴールをめざして。「あなたは行方不明になっています。ぜひゴールしに来てください」という手紙が神さまから届くかもしれませんよ。

今回は、「熊本県立玉名高校HP」外部リンク、「玉名市歴史博物館HP」、そして「ウィキペディア(日英)」外部リンクを参照しました。

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